鬼怒川下流部では、常総市若宮戸、上三坂地区で破堤しました。若宮戸での破堤については、例のソーラーパネル工事の一件が疑われているところですが、なぜ、これらの地点で堤防が破堤したか、それが大きなテーマだと思います。
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今後いろんな情報が出てくると思いますが、現時点で、「今回の破堤地点は、鬼怒川の河川改修計画上、どういう堤防と位置付けられていたか」を把握することが出発点だと思います。計画上は、「完成堤防」とされていた地域なのか、それとも「要・補強工事個所」とされていたのか。後者だとして、その緊急度・優先度はどの程度か、という把握(行政の現状分析)です。つまり、鬼怒川の河川整備を、どのように進めようとしていたのかという、行政計画です。
ところが!です。
この点について、ちょっと「不思議な話」があります。それは、計画の策定状況です。話の順番が違うような、計画策定の進められ方になっているような気がします。あるいは、法の精神を逸脱する行政計画の策定になっている気がします。
まず「河川整備計画」について、簡単に説明しますと、河川改修・治水工事を行うにあたって、現在、国は2つの計画を定めることが法で決まっています。河川整備基本方針と河川整備計画です。
前者の河川整備基本方針は、100年先とか長期の計画指針・マスタープランの計画です。この計画で、基本高水流量といいますが、治水計画上の想定洪水流量を決めます。というより、基本方針の段階では、基本高水流量の決定が最大かつ唯一のテーマに近い状況です。
他方、河川整備計画とは、その基本方針に基づいて、具体的な整備計画を示したものです。およそ20~30年先を目指して、どんな改修工事をしていくかの計画を示すものです。


http://www.qsr.mlit.go.jp/miyazaki/ryuuiki_1/nagare.html
今回の鬼怒川は、茨城県守谷市で利根川に合流しますので、利根川水系です。そして、河川整備基本方針の時点では、「利根川水系」として、一括で計画が策定されました。本来なら、この基本方針(2006.2.14)が決定された後、すぐに下位計画である整備計画を策定し、基本方針を具体化する計画を策定すべきでした。しかし、未だ鬼怒川河川整備計画は策定されていません。
河川整備計画は、上記・図のように、利根川流域を5つのブロックに分けて、策定作業を始めました。鬼怒川でも、
1)2006.12.4
2)2006.12.20
3)2007.2.22
4)2008.5.23
に会議を開いていますが、ここまでです。
というより、利根川水系の他のブロックでも、この時点で河川整備計画の策定作業が、突如ストップしました。この中断理由を行政は明らかにしないのですが、その後、八ッ場ダム事業の再開のために、当時の藤村修官房長官が「河川整備計画の策定」を裁定条件としたため、利根川・江戸川ブロックだけを切り離して、河川整備計画を策定するという状況になりました(2013.5.15)。これは、かなり異例の話です。
なお、この、鬼怒川・小貝川の有識者会議のホームページが、水害後、全く見られない状況です。有識者会議ホームページには、会議配布資料、議事録などが掲載されており、鬼怒川改修における基本資料が「一通り勢ぞろい」になっており、大変便利なのですが、そのホームページがなぜかみられません。
長くなりましたが、以上が前座です。
鬼怒川が含まれる「利根川水系河川整備基本方針」が2006年2月に策定された後、鬼怒川河川整備計画は策定されていない状況なのですが、そうした「正規の法的プロセス」とは異なる形で、改修計画が進行している感じで、「これは何だ?」と思っています。
1つは、河川維持管理計画です。
法的なレベルでは、上記に示した河川整備基本方針と河川整備計画からなる「河川工事計画」ですが、実際には、更に(実質)下位計画の「河川管理維持計画」があります。根拠は、通達(河川局「効果的・効率的な河川維持管理の実施について」2007.4.25)です。期間は、概ね5年とする短い計画です。
鬼怒川でも、河川維持管理計画は策定されています。これが2012年の3月。
それから、鬼怒川の直轄河川改修事業の事業計画が策定されています。期間は、H24~H54とされているものと、H23~H53とされているものとあります。
1)H24~H54
資料「再評価」(p9)
2)H23~H53
この点は、記載ミスかもしれないのですが、一応記しておきました。
で、大事なのは、その策定時期です。
いずれの資料を見ても、策定時期はありません。しかし、後者の資料を見ると、始まりは「昭和55年」(1980年)なので、旧河川法の工事実施基本計画のようです。
確かに、河川法には「旧法下の工事実施基本計画を、河川整備基本方針・整備計画が策定されるまでの間、両者に相当するものとみなすという規定があります(附則2条1項、2項)。
だからでしょうか、この直轄河川改修事業の期間は、今後20~30年と完全に「河川整備計画」の期間と一致します。
つまり、国は「みなし規定」を利用して、正規の計画策定手続きをスルーして、「新しい河川整備計画」を”実質的”に作っています。そして、こうしたやり方によって、法の精神を換骨奪胎しています。
新しい河川法(1997)では、旧来の工事実施基本計画を、河川整備基本方針と河川整備計画に分割するという「技術的側面」の変更ではなく、後者に「住民参加規程」(16条の2第4項)をおいたことが、重要な点でした。その住民参加は、行政の裁量次第でどうにでもなってしまう、「非常に弱い住民参加」ですが、それでも、旧来の河川法に比べると、大きな変化でした。
実際、利根川・江戸川河川整備計画の策定の際には、パブリックコメントや有識者会議傍聴など、「不十分な参加」を行政は行いました。
しかし、この鬼怒川直轄河川改修事業は、そうした不十分な住民参加でさえ、行政はスルーし、”住民意見の尊重”という法の趣旨を生かした、河川整備計画の策定を迂回したようです。そのために、附則のみなし規定を悪用したようです。
先ほど、策定時期が明らかではないと書きましたが、事業評価(費用対効果)の評価基準年度がH23となっている以上、恐らくH23(2011)年の策定だと思います。評価基準年度というのは、貨幣価値が変動することを加味して、費用対効果を出さなければならないので、その基準年度が必要です。そして、その基準年度は一般に、策定時にしますので、策定は2011(H23)だと思います。
先ほど申し上げたとおり、最初は、正規の河川整備計画を策定するように、行政も動き、下記の日程で有識者会議を開催しました。
1)2006.12.4
2)2006.12.20
3)2007.2.22
4)2008.5.23
しかし、その会議を突如中断し、八ッ場ダム事業再開で政治が揺れている時点で、どうも「直轄河川改修事業」の計画を、実質、河川整備計画に代替するものとして定めたようです。
そして、その後、下位計画として、5年をタイムスパンとする「鬼怒川河川管理維持計画」(2012年3月)を策定した模様です。