荒川河川整備計画・パブリックコメント
現在、荒川河川整備計画の骨子に対して、パブリックコメントが行われています。期間は4/21まで。個人的に疑問に思うことを書いてみました。
1)会議の運営
ア)同室・一般傍聴を妨げる会議運営
本河川整備計画を策定するために、河川法16条の2第3項に基づいて有識者会議が開かれている(荒川河川整備計画有識者会議規則1条)が、この有識者会議においては、会議室内での一般傍聴は認められず、別室を確保し、審議の模様をモニターで中継するという、無駄に経費のかかる方法がとられている。
会議の傍聴は、憲法論的に言えば、学説上確立している知る権利(21条1項に定める表現の自由の一形態とみる)の具体的な有様であり、そうであれば、その制約は、権利の重要性に比して合理的なものでなければならない。憲法上、表現の自由を定める21条は民主主義の基礎となる重要な人権であるから、同室傍聴を制限しなければならない重要な理由(必要性)と、その制限を正当化する代替・補償措置が合理的に認められるものでなければならない。
ところが、この点が曖昧である。今回とられている別室モニター傍聴は、同室傍聴を制限する代替・補償措置と解釈できるが、なぜ、そうした措置を施す必要があるのか、その必要性は全く示されないまま、今回の措置がとられている。推量するに、その必要性は会議を同室で傍聴することによる混乱回避と思われるが、そうだとしても、その場合には、規則の中に「会議の進行を混乱させるものに対しては、座長権限により退席を命じることができる」という規定を織り込み、そのように対処すればいいのであって、そうした措置をとらず、いきなり一般傍聴者を全員排除する形で、制限するのは不合理である。
裁判所などでも、傍聴を基本原則とし、訴訟指揮を混乱させる者は裁判長の権限で退廷を命じるように規則を定め運営して、それで混乱が生じていないのだから、別室を確保し、経費を増大させ、一般傍聴者の権利を制限することの意味が不明である。傍聴には、日程を調整し、また交通費をかけて来るわけだから、一般傍聴者というのは、河川行政に強い関心を持つものであって、例えば民間企業であれば、こうした人たちを排除するかのような扱いをすることはありえない。
別室傍聴という措置の不合理・異常さを改善すること、今後、こうした措置が再現されないようにすることを望む。
イ)規則の不合理
荒川河川整備計画有識者会議規則は第2条において、会議の委員及び組織を定める。有識者会議設置の趣旨は、委員の高い識見を計画に反映させることと思料されるが、その趣旨を反映して、第5項では「委員の代理出席は認めない」と定められている。そうであればこそ、17人の委員のうち、わずか数人しか出席できないまま会議が開催されたとすれば、会議の趣旨を満たすことができず、会議は不成立・無効と解するのが、社会常識である。
しかし、本有識者会議にはそうした規則がない。会議の趣旨を踏まえれば当然あるはずの規定がないことは、会議を何のために開催するのか、その意味を疑わせる。
ウ)規則
一般傍聴が別室になっていることの不合理を、1つ具体的な形で指摘する。仮に、会議規則などで「会議成立のための最低人数」を定めていれば、会議の冒頭で、「今日の出席者は、○○委員、○○委員、○○委員、・・・・・・○○委員の以上○名であり、会議は成立です」と告げる。しかし、本会議ではそうした当然のことさえ行われていない。
なるほど、傍聴者には委員座席が配られているが、これは出欠確認を取った当日の出席予定者を示すに過ぎず、実際の出席委員を知ることはできない。そして、別室モニター視聴では、会議に委員が何人出席したのか、誰が出席したのかという基本的なことが不明である。記者席後方から映し出す、定点観測カメラでは見えるのは、座長とその両脇の委員のみであって、円卓の左右側にある委員などの姿も確認できない。会議中、彼らが何をしているのかも確認できない。委員が会議中居眠りをしているようなことがあった場合、別室モニター視聴では、そうしたことさえわからないのである。
公開の緊張感の中にあってこそ、実りある審議は可能(といってもそれは必要条件の一つであり、十分条件ではない)になるのであって、それを妨げる別室モニター視聴は不合理である。①余分な経費、②一般傍聴者の人権制限、③公開の緊張感という3点で不合理である。
2)計画目標
荒川河川整備計画の上位指針にあたる、荒川河川整備基本方針は、去る2007(H19)年3月に策定されており、そこでは基本高水流量を既往最大洪水・カスリーン台風(昭和22年9月)の実績値(岩淵地点)10,560㎥/秒を遥かに上回る14,800㎥/秒とされている。
対する計画高水流量は7,000㎥/秒であり、上流域で7,800㎥/秒分の洪水調節を必要とするところ、上流域には、国・機構ダムとして、①二瀬ダム(1961年竣工、治水容量2,180万㎥)、②浦山ダム(1999年竣工、治水容量2,300万㎥)、③滝沢ダム(2007年竣工、治水容量3,300万㎥)のほか、④有間ダム(1985年竣工)、⑤合角ダム(2001年竣工)という埼玉県管理の小規模ダムがあるばかりで、7,800㎥/秒分の洪水調節という治水計画は、全くの机上の空論である。
それは即ち、河川管理施設の具体的な計画と乖離した基本方針であることを如実に物語っているが、対応する河川整備計画も、既往最大洪水となるカスリーン台風洪水規模とするなら、推定流量10,560㎥/秒と計画高水流量7,000㎥/秒の差額、3,560万㎥/秒を洪水調節しようとすることになり、その妥当性および方法論が一切不明である。
整備計画・骨子には、「中流部において、広大な高水敷に横堤が築造され遊水機能を有しているところですが、より効果的にピーク流量を低減させるため、調節池の整備を行い、洪水調節容量を確保します」(6ページ)と記載があるが、これが荒川第1調節池の拡充を意味するとなると、その記載は、諸元・効果、懸念される影響など、具体的に記載されなければならないはずであるのに、この点が一切不明である。これでは効果的なパブコメにならない。
3)浸水対策
荒川河川整備計画では、首都圏を流れる荒川の特性を踏まえて、氾濫時の社会経済機能の麻痺が懸念されている。その1つとして、関係都県会議でも有識者会議でも配布された「荒川の現状と課題」(関東地方整備局)では、2ページに荒川決壊による地下鉄浸水想定が示されている。
こうした具体的な想定被害から、対策案という形で整備計画は策定されるものであると考えるが、問題の立て方・議論の立て方はそうした形になっていない。つまり、問題解決志向になっていない。
もし、問題解決志向に沿って計画立案が行われるのだとしたら、①この被害想定は妥当か、②妥当だとして、その方法はどうすべきかというものになるはずである。この点、筆者は①の時点で問題があると考えるが、その点をさておいたとしても、もし地下鉄浸水が懸念されるほど、堤内地に大量の水が、外水であれ内水であれ発生するべき時に、(1)地下鉄入り口のシャッターはどれくらいの水量・水圧に耐えられるか、(2)地下鉄の線路内勾配から考えて、どの手順で、地下鉄の入り口対策を実施するか、(3)その際に河川管理者との連携はどうすべきか(情報伝達)などを詰めていく形で、対策は考えるはずである。主要な関係者は東京都交通局、メトロなどであって、そうした連携が取れてこそ、国土交通省として、旧建設省・旧運輸省が一体化した意味も出てくるはずである。
地下鉄の浸水が実際に起きた場合の被害は甚大である。その大きな影響を考えれば、もし本当に具体的に地下鉄浸水が懸念されるのであれば、対策は地下鉄ベースで考えるべきであり、その点の連絡を欠き、まるで地下鉄浸水を堤防強化、河川整備などで防ぐという発想であれば、全く合理性を欠いている。
これは、荒川という都市河川に特有の被害と対策、連携体制について具体的な様相が全く見えないという一端であって、もう少し、問題解決志向で計画を立案してもらわなければ困る。